池田満寿夫と芸術:女性と創作

池田満寿夫の評価

女性と創作

 池田満寿夫の創作に女性との出会いと別れは不可欠である。
 池田は四人の女と出会い、愛することにより生き方が変わり、絵のイメージも変わった。女との生活の行き詰まりは絵の行き詰まりであり、新しい女との出会いは新しいイメージの具現化の始まりになっていった。
 年上の女、大島麗子と別れ、富岡多恵子との出会いが池田の人生を決定した。富岡多恵子は当時新進気鋭の女流詩人であった。芸術家同士の生活は刺激的で、二人の関係は妥協を許さぬ闘争の場でもあった。
 若き青年画家は若さ故に純粋芸術に目覚め、その創作活動は天才的であった。富岡多恵子との八年に及ぶ同棲生活の期間に池田芸術の傑作が集約された。更に、富岡多恵子との別れとリラン・ジーとの出会いが、あの小説『エーゲ海に捧ぐ』となった。その小説が芥川賞受賞となって池田満寿夫は時の人となり、池田特有のキャラクターは日本社会にスター性のある芸術家として一挙一役足がマスコミの話題となった。
 世界的バイオリニスト・佐藤陽子との結婚により池田満寿夫のキャラクター性が決定的となり、「マルチ・アーチスト池田満寿夫」となり、「Masuo」というキャラクター・アーチストとなった。有限会社「M&Y事務所」の維持のために奔走することになり、この時期の池田満寿夫はトップ・ビジネスマンになったという感は否めない。しかし、全生涯にわたる彼の作品は燦然と輝いている。
 次の言葉は、池田満寿夫が自ら私に語った言葉である。「世の中で有名となって良くなることはIつとしてない」。自戒を込めた心の吐露であろう。
 池田満寿夫は晩年、しばしばこう□にしていた。「僕は油絵で出発し、版画や陶芸にそこそこの傑作は残せたが、油絵だけは傑作がない。僕は最後に油絵の傑作を残して死んでいきたい」。池田は自分の芸術を最後まで突き詰めようとしていたのである。しかし、その希望は実現しなかった。
 一九九七年三月八日、池田満寿夫は急性心不全のため死去、享年六十三歳であった。日本の美術史において、昭和の時代を駆け抜けた「天才・池田満寿夫」を抜きにして語ることができないほどの功績を池田が残したことは間違いない。
 願わくば、少なくてももう十年命を長らえ、池田芸術を極め、希望だった油絵の傑作を残して逝ってほしかったと願うのは私一人ではないだろう。


=二流半の老画家の独り言=

池田満寿夫と芸術

真島良範著

池田満寿夫及びそのファンに捧げる

・まえがき
池田満寿夫の評価
女性と創作
・素描の発見
・素描の魅力
・私の販売目的
・池田満寿夫との出会い
・池田満寿夫の圃収蔵
・マルチ・アーチスト
・エロスの画家
・美術と芸術
・コレクション
・美術の誤作動
・根のない巨木
・ナンチャッテ・アーチスト
・美術は手品のトリック
・炎
・美の分類
・芸術家の主題
・結論
・あとがき

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